BLENZ

[ 2009.10.25 ]

声がでない。。。

声が、でないんです。
急性上気道炎。気管支炎だそうです。

お調子者のわたしは、風邪が治ったとカンチガイし、どうもがんばりすぎたようです。
先週水曜日に洗足学園音楽大学で3コマ講義を終えた後、 突然、声がでなくなりました。

慌てました。。。

実は、内心、今も焦っています。
声を失ったらどうしよう、という恐怖まで、頭をもたげてきます。

少し、意識して前向きになるように心掛けます。

凹まないよう、花を見ます。
よく面倒を見てくれる夫がいて、幸せです。
Twitterも、学生さんたちとつぶやきあえて、楽しいツールになっています。

いつもは活躍する、お薬=「音楽」が使えないのは、困りました。

声帯がはれていて、急性声帯浮腫を併発しているとのことで、
「声をださない」という厳命以外にも、
「音楽を聴くと、声帯が反応するから、音楽も聴かないで静かにすごしたほうがよい」そうなのです。

わたしにとって、「ことば」と「音楽」は、何にも増して大切なものじゃないですか!
その二つを押さえられたのは、大きなことです。

「無言の行」です。
普段、おしゃべりなわたしに、これは苦行です。

音楽も、TVの音もしない部屋で寝ていると、諦観がわいてきて、
こころが少しずつ「平ら」になってくる気がします。

こころのなかのことばを、聞き、それにこころのなかで答えています。
こころのなかから湧いてくる音楽を、静かに聴こうとしています。

今まで、どれほど「いわなければならない大切なことばを、いわなかったか」「不要なことばを発したか」に、思い至ります。
病の功名です。

声が出るようになったら、楽しいことを話そう、
夢を語ろう、励ましあおう。

ことばが、祈りだったんだと、気づいているわたしです。

祈りを、夢や明日を現実化する「クリック」といい換えてもいいですね。

その祈りは、きっと聞き入れられる。
聞き入れられてしまうので、気をつけて口からださなくてはいけないわけです。

とすると、思考することも、同様ですね。
「何を思うか」も、わたしたちの、「明日」を創る要素です。

熱と咳で、身体から不要なものが、どんどんでていく感覚があります。
「浄化」が、必要だったのだと思います。

しばらくサイトも休み気味ですが、ご心配いただかないようお願いして、
わたしは「浄化の旅」を続けようと思います。 

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