Music Diary
[ 2011.07.04 ]
Branford Marsalis & Joey Calderazzo "Song of Mirth and Melancholy"
今日は、アメリカ合衆国の独立記念日だなと思い巡らせつつ、ジャズ界を牽引するサックス奏者、ブランフォード・マリサリスの新作について書きたいと思います。
ブランフォードが、新作について語る前に、東日本大震災のお見舞いを伝えたいと、次のように語りました。
「3月11日、東日本を襲った地震、津波という天災の猛威に呆然とし、続けて起こった原子力発電所の事故という人災に戦慄を覚えました。
亡くなられた方々に心から哀悼の意を表し、被災した方々が徐々に平安を取り戻すことができる環境が整うことを願っています。
ハリケーン、カテリーナにより故郷であるニューオーリンズが壊滅的な被害を受けたときも、深い喪失感を覚えましたが、今回の日本の被災は規模が違います。被災した方々の損失、心の痛みは計り知れません。
しかし、膨大な時がかかるとしても、日本の皆さんが今回の災難に雄々しく立ち向かうことを信じて疑いません」
◆ ◆ ◆
ブランフォード・マルサリスの新作『ソングス・オブ・マース&メランコリー』は、彼のカルテットのピアニスト、ジョーイ・カルデラッツォとの、美しいサウンドに満ちあふれたデュオ作です。
2010年1月3日から5日にかけてレコーディングが行われましたが、その場所は2人が住むノースカロライナ州のダーハムにある"ハイチ・センター"。
これまでもマリサリス・ミュージックの諸作が録音された場所でもあります。
曲目は、ブラームスとウエイン・ショーター作が各1曲。オリジナルは、インプロヴィゼーションによるものはなく、お互いが作曲して持ち寄っており、ブランフォードが3曲、ジョーイが4曲です。
昨年のブランフォードは、1)新加入の若きドラマー、ジャスティン・フォークナーを擁するレギュラー・カルテット、2)同カルテットを脱退したジェフ・"テイン"・ワッツ(ds)のグループ・メンバーとして、3)小曽根真のクリスマス・コンサートへのゲスト参加、と、いつになく来日が多かったのです。
一方、ジョーイも、ブランフォード・カルテットのほか、自身のトリオでも初来日を果たしました。
それぞれが聴きごたえのある公演でしたが、そのつどわたしは2人から、音響的な最終調整の前ではありますが、このアルバムの音を聴かされました。
ともに自身の音楽に対して非常にシビアなタイプの演奏家ですが、それでも、かなりの手応えを感じていることが伝わってきていたのです。
まず、なぜデュオ・アルバムにしたのか、制作の経緯をブランフォードに聞きました。
「2009年夏、ジョージ・ウィンが主催した"ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル"が、マルサリス・ミュージックに自由に使っていい時間枠をくれた。レーベルに籍を置くミュージシャンのバンドが複数出演したが、そのときジョーイとのデュオをやり、手応えを感じ、もっと発展させたくなった。
ジョーイが今、すごいところに到達しているので、どうしても録音しておきたかったんだ」
◆ ◆ ◆
ブランフォードは「ジョーイが今、すごいところに到達している」と言いましたが、そこに至るまでに、かなりの研鑚を積み上げる必要があったのです。
ジョーイは、1999年、ケニー・カークランドの急逝を受けてブランフォードのレギュラー・カルテットに加入しましたが、"ドクトーン"(音博士という意味の造語)とまで呼ばれたカークランドの後任として、ジョーイに寄せられる評価は厳しいものでした。
ジョーイもカークランド同様、音数の多いタイプですが、当時を振り返ってジョーイが語っています。
「ぼくが弾きまくるタイプのピアニストなのには理由があった。
興奮しやすいハイパー気質で、日常でもじっとしていることが苦手。演奏となればなおさらだった。
それが大きく変化したきっかけのひとつは、2003年録音の『エターナル』に収録された〈ロンリー・スワン〉だ。
ぼくの書いたメロディが美しい、ショパンの曲のようだ、テンポをぐっと落として演奏してみようと
ブランフォードが提案してくれたんだ。それからクラシックを聴き込み、弾くようになり、音の使い方やテンポを、より吟味するようになった。
その成果として『俳句』(2004年録音)、『夜明け(原題:Amanecer)』(2007年録音)、そしてこのデュオ作がある。
今回は、演奏していて、ひたすら楽しかった。ピアノを弾いていて、何かが天から降りてくるような感覚があった。
ブランフォードを全身で聴きながら、彼とはまた異なるメロディを弾く。それがしっくりきたときの気持ちよさ!
ぼくが こんなふうになれたのも、ブランフォードが、これまで、ありのままのぼくを受け入れつづけ、ぼくが吹っかけるジャズ論議にも、どんな演奏にも、つきあってくれたおかげだと思っている」
わたしも、今作のジョーイの演奏には、目をみはり、心をゆさぶられています。
ブランフォードがこのアルバムを「歓喜とメランコリーのソング集」と名づけたのは、対等に向き合い演奏することができるピアニストを再び得た、その歓びからなのだと感じるのです。
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このアルバムはデュオということもあり、スウィングを大前提としたうえで、メロディと、それに密接し自然に導かれるタイム感覚を尊重しているように思えます。
例えば、ブランフォードとジョーイのどちらかがソロをとっていると感じられる場面はない。
言い換えれば、メロディとリズムの、ありきたりな役割分担がない。
テンポにしても、1曲のなかで、音の流れに沿って自由に変えられてゆく。
この点について、ブランフォードに聞きました。
「そう、このアルバムでは、ソロはない。ソロとは、なんなのだろう。必要なときはとればいいが、いらない曲もあるだろう。
現在のジャズでは、メンバー間でソロをまわすことが前提のようになっている。
ミュージシャンは、自分の番がきたら、どうソロを演奏するか、そのことしか考えていないように、ぼくには見える。
既存の形式から解き放たれて、一体化して"ソング"を奏することが重要ではないかと思うんだ。
タイムに関して言うと、ぼくの好きな音楽は、リニアなタイムをもっているといっていい。
少なくとも、タイムをストレッチする幅をもっているのが好ましい。
クラシックでいえば、メロディを理解したら、テンポは演奏者がある程度自由に決めていいんだ。モダン・ジャズでは、大概が曲の冒頭から終わりまで一定のテンポで演奏される。
でも、ジャズが創成期からそうだったかと問われれば、答えはNoだ。
流れに任せていいんだ。メトロノームのようにリズムを刻む必要はない。
だが、今はアメリカでもミュージシャンが地域の教会で演奏する機会をもたずに学び、プロになるから、杓子定規になっている。
ジャズにおいて、タイムを変化させる自由は、ある種のロスト・アートになっているんだ。今作はデュオなのだから、なおさらタイム感をストレッチする自由があってよかったはずだ。
ジャズにおいて最も大事なのは、2点。メロディとスウィングすることだ。
それを、このアルバムで問いたかったし、演奏していくなかで、あらためて気づかされた。
ブラームスの〈喪に服する女〉をとりあげたのは、旋律がテンポを導くいい例だからだよ」
ちなみに、ブランフォードは、ブラームスを収録曲に加えたことや、テンポのとり方が現行のジャズと異なるからといって、今作がクラシック寄りの作品だと解釈する人がいたら、それは誤解だと付け加えました。
ただし、曲を書くにあたって、近年クラシックの交響楽団や室内楽団と共演してきたことが寄与した面は多々あると認めています。
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21世紀のラグタイム・ナンバーが、アルバムの幕をあける「ワン・ウェイ」。その時代の曲も聴き込んでいるジョーイの作曲です。
2曲目の「ザ・バード・ラクリモウス」は、涙を誘う吟遊詩人。
美しくも哀しいメロディを、それぞれが語るように演奏しています。
「表現の抑制ということを『エターナル』録音時から考えてきたが、ここ2年でやっとできるようになってきた」(ブランフォード)
「 フェイス・オン・ザ・バールーム・フロア」は、ウエイン・ショーターが、ウェザーリポート時代に書いた曲。ソプラノ・サックスがゆらりと漂う。
「酔っぱらいの曲だから、テンポが変化し、のらりくらりと演奏するのもごく自然だろうと、プレイさせてもらった」(ブランフォード)
『ブラッグタウン』(2006年)にも収録されていた、ジョーイの曲「ホープ」では、ブランフォードのソプラノの音色の美しさが際立ちます。
決して誇示されないのですが、彼のテクニックの高さは圧倒的。
エンディングになだれ込むパートのドラマティックな演奏には、心をかき乱されます。
「あれから4年経ってのレコーディングだから、ともにオーケストラルな演奏ができるようになっている」(ブランフォード)
最後の収められた「 ブリズ・ダンス」については、ブランフォードが次のように語りました。
「ジョーイがかなり前に作曲したナンバーだが、テンポの自由を謳うのに最適なので、デュオでも演奏した。どこに飛んで行くか分からない演奏が、最終的に同じ場所に着地してゆく。これは、息が合うジョーイとならではこそ得られる快感だ」(ブランフォード)
ブランフォード・マリサリスとジョーイ・カルデラッツォ。
10年以上にわたって築き上げたきた、2人の深い絆から産まれた今作は、タイトルどおり、ジャズの歓び (maith)と、生きていく上で避けて通れないメランコリーを、たっぷりとたたえています。
その素晴らしさを大いに堪能したいと思います。







