Music Diary
[ 2010.08.13 ]
シェリル・クロウのソウル
シェリル・クロウの新作『100マイルズ・フロム・メンフィス』がいい。声まで若返ったようです。
勢いがあって、かわいくて、ちょっと荒削りで。
彼女のR&Bのルーツが聴こえてくる。
こんなアルバムが、シェリルらしいわ。
わたしは、声に出して言ってみた。
1995年、シェリル・クロウ初来日のときのこと。
直前の第37回グラミー賞で、彼女は最優秀新人賞ほか3部門を受賞していたけれど、来日公演の会場は新宿の「リキッドルーム」という小ささでした。
その会場のサイズにあった、小さな思い出。
シェリルに会いたいと、楽屋に行ったわたしのお尻を、プロモーター氏が通りすがりに触りました。顔見知りの人です。悪気はないわけ。でも、わたしはやっぱりイヤだから、顔が曇ったに違いありません。
それを見ていたシェリルの片眉があがりました。
そして、プロモーター氏が部屋を出てから、こんな話を始めたんです。
「わたしね、ウェイトレスだったんだ。
仕事しているといろんなことがある。
でもね、大勢のアメリカの有名女性シンガーがウェイトレス出身。だからメインストリームよね」
彼女はミズーリ州ケネットという町で生まれで、父親は弁護士にしてジャズ・トランぺッター、母親はピアノ教師。
本人だって、インテリです。
ミズーリ大学で音楽理論やクラシック・ピアノを修め、小学校の音楽教師になったものの、シンガー・ソングライターになる夢が捨てられず、愛犬を連れてロスにでたのです。
ウエイトレスをしていたのは、この頃のこと。
'87年、プロ初仕事はマイケル・ジャクソンの「バッド」ツアー。バック・ヴォーカルでした。
そして'93年に、待望のデビューを果たしたのでした。
彼女はスターダムを昇り、有名誌の表紙を飾り、獲得したグラミー賞が徐々に増え、9個になりました。
洗練されるにつれて歌から少し勢いがなくなって、わたしは彼女の歌を聴かなくなりました。
ただ2007年のニュースは気になりました。
(ツール・ド・フランスで7連覇を果たした) 婚約者ランス・アームストロングと破局、直後に乳がんの手術を受けたという記事があったからです。
「病気ならば、一緒にいよう」と復縁を迫ったランスに、「もう決めたことだから別れたままでいましょう」と断ったのはシェリル自身だったと、後にインタヴューで語っています。
しかし、そこからがシェリルの真骨頂でした。
農場で暮らし、養子(今は2人)を迎え、今年に入って本格的な復帰を果たしたのです。
春には復活ツアーで来日、そして今作『100マイルズ・フロム・メンフィス』です。
ちょうど彼女の生まれた町が、メンフィスから100マイルなんだそうですね。
メンフィスのラジオを聞いて育った彼女。ソウルの殿堂、スタックス・レコードやアル・グリーンに多大な影響を受けたという。彼女のルーツにあるR&Bへの愛があふれた新作になりました。
そして、2人の息子に捧げられたこのアルバム。
声まで若返っているのは、息子を追いかけ回した「成果」でしょう。
面白いのは、ボーナス・トラックとして収録した「帰ってほしいの」で、マイケルのジャクソン5時代の大ヒットを、ソウルフルに歌っている。これが、カワイイ。
「恋愛契約」はトレンス・トレント・ダーヴィーのカヴァー。それをメンフィス・サウンドにしたと、シェリルが語っています。
ライナーノーツから引用させていただきます。
「このタイミングで何か新しいことをやってみるのもいいかなと思って。余計な要素をはぎとったスタックス・レコード的な、サザン的なことをやりたくなった。前作は政治色が強くてフォーク的だった。そう、このアルバムの方が断然楽しくてセクシーだわ」
プロデューサーはドイル・ブラムホールとジャスティン・スタンレー。
「アイ・トゥ・アイ」にはシェリルのアイドル、キース・リチャーズがギターで参加。周囲の愛に囲まれ、故郷でソウルを歌う彼女が、かわいくカッコよかった。
もう大丈夫ね!そう確信させるエネルギーをシェリルが発しています。
カントリーガールで、元気でカッコイイ。
ここにある音楽はアメリカじゃなくては生まれなかったものですし、シェリル・クロウにしか生み得ないものだと感じています。







