Music Diary
[ 2009.06.27 ]
Michael ? / マイケル・ジャクソンを偲んで
マイケル・ジャクソンの訃報を知ったのが、Twitter でだったとは。
マイケル・ジャクソンが25日14:30(日本時間26日午前6時半)ごろ、米ロサンゼルスのUCLA医療センターで亡くなりました。享年50。兄であるジャーメイン・ジャクソンが、同日午後6時ごろ同センターで発表したのですから、信じるしかありません。
「わたしの弟で、伝説の『ポップの帝王』、マイケル・ジャクソンが死去しました」
声明文を、時おりため息をつきながら読み上げたジャーメイン。自宅で心停止に陥り、病院での蘇生の試みは1時間に及んだといいます。
一夜明けて、薬物依存などがささやかれはじめましたが、鎮痛剤を飲んでいたことは確かなようですね。音楽シーンにカムバックすべく用意した、7月13日からのロンドン50公演も、反対に大きなプレッシャーになっていたのでしょう。
ジャクソン・ファイヴ時代の11歳から既にスターだった彼に、「名声」と彼の周りを取り囲む心ない人々との関係が、どれほど過酷なものだったか、想像するのも怖いほどです。
痛みが心の痛みである以上、鎮痛剤で治るはずもないのでした。
◆ ◆ ◆
マイケルは1958年8月、米インディアナ州ゲーリー生まれ。66年にジャーメインほか4人の兄と結成したヴォーカル・グループ「ジャクソン・ファイヴ」で数々のコンテストで優勝し、11歳のときにリード・ヴォーカルをつとめたシングル〈帰ってほしいの〉(69年)で天才少年シンガーとして、華々しいデビューを飾ったのでした。
ジャクソンズ時代の〈アイル・ビー・ゼア〉は、わたしのファイヴァリット。ボーイ・ソプラノの歌声には、聴くものを慰める、優しさがありました。
ソロ・デビューは71年。アルバム『スリラー』(82年)が全世界で約1億枚を売り上げる世界記録を樹立しましたが、そのアルバムから続くクィンシー・ジョーンズとの交流で、マイケルは大きな音楽的飛躍をとげたのでした。
ただ、書いておくと、アフリカン・アメリカンのアーティストのPVが作られたのは〈スリラー〉が初めてで、それが世界中のお茶の間で流れるのも最初のことだったのです。
公民権運動から、20年近く経っていたのに、まだアメリカ(と世界)は、肌の色への差別意識を捨てきれないでいたのでした。
そんな社会にあって、世界中の誰もが知っているほどの名声をもつということは、どんな気持ちがするのでしょうか。
繊細で、完璧主義だったマイケルのことです。
人一倍傷つき、苦しみ、殻に閉じこもったにちがいありません。
大人になることへの嫌悪。自らを好きになれない悲しみ。
奇々怪々なネヴァーランドの邸宅も、マイケルにとっては、夢の具現化だっただけ。
湯川れい子さんに伺ったのですが、彼が言っていたそうです。
「黒いスーパーマンも、黒いティンカーベルもいないじゃないですか」
でも、マイケル、黒い肌の天使はいると思いますよ。
どうか安らかに、休んでください。
とびきりキュートな歌声と、革新的な音楽活動に、感謝をこめて。







